2008/11/14 01:23
押し潰されそう。
欲望と理性と夢と現実の狭間で。
あたしはどこで生きていけばいいの?
どこで貴方と会えば幸せですか?
「そういう詩的表現は俺に言っても無駄だぞ」
数学担当の小野寺はすっぱりと言い切った。
「そんなの知ってる。感覚で生きている奴なんか信用していないのも」
「分かってるじゃないか。だからこの腕退けろ」
あたしの腕は小野寺の首に絡まっていた。テストの採点をするにはとても邪魔そうだ。
そういう態度はおくびにも出さないで赤ペンを走らせているけど。
「木下、聞いてたか」
「今日は国語が苦手な日で。先生の言っている事がよく分かりません」
「小学校からやり直すか、学年一位」
文句は言うものの自分で退けようとする気配はなかったので、躰も預けてしまった。
「おい」
「好き」
「ふざけんな」
「学年一位はふざけてこんな事言わないよ」
解答用紙に目をやると、丁度あたしの解答だった。
当たり前のように丸が並んでいる。
「数学って簡単ね。答え一つしかないから。国語の方がよっぽど難しい」
「その一つの答えに辿り着けなくて苦心する奴もいるんだ」
「辿り着いたらいいのよ。国語は付けないことがある。
小説の問題に答えなんてあっちゃいけない。作者の考えてることなんて作者にしか分からないし。
それを出題者の勝手な価値観で図っちゃいけないと思う」
「夢見るような正論だな。流石感覚で生きているだけはある」
点数、満点。ほらちょろい。
小野寺の針のような言い方なんてもう慣れた。
「先生は仮初の答えで満足するの?」
「採点者が正答だと言うなら。国語にそれほどの思い入れはない」
「国語の話をしているんじゃないって事くらい、理論で生きてる人間でも察しられるわよね?」
腕に力を入れた。顔を方に埋める。
ムースの匂い。狂おしい程思ってしまうには十分な材料。
欲しい、欲しいの、貴方。
皆が駄目だと言っても、手に入れたい。
「お前は俺に幾つの答えを持っているんだ」
小野寺にしては抽象的な問いだった。そう、それが国語。
「先生が思うだけ、幾つでも。例えば欲望と理性と夢と現実」
どこに行けば貴方が捕まりますか。手を取ってくれますか。
振り返って、抱きしめてくれますか。
「出題者はもう少し要点を絞れ。そんな問題じゃ解答用紙は作れない」
「あたしに刻み込めばいいのよ。今すぐにでも」
いつか、そんな日が来たとしたら。
どんな答えだとしてもいい。
あたしは貴方に丸をつけてあげる。
他の誰にも見せられない、呪いのような。
あたしだけのものっていうマーキング。
小野寺の、きつく締められたネクタイの結び目を緩めた。
初めて小野寺があたしに触れた。
これも、答えの一種ね。
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2008/11/10 02:39
ナイフの一番鋭い部分で薄い皮膚をそっと引っかいたような、言葉。
机の中に溜め込んだ教科書とかプリントとか、まとめてゴミ箱に捨てるのは簡単だった。
その中にある思い出みたいなものを見なければ。
あの一枚一枚には小さな落書きや伝言みたいなものが大事に大事に書かれていて、それだけが私達から見出せた繋がりみたいなものだったと思う。
捨てる姿を見られたくなかったから放課後人目を阻んで済ませてしまおうと思ったのに。
あいつのこういう時のタイミングは計り知れないくらい悪い。
「何してんの」
部活中だろうと思って油断していた。誰も居ない教室に突如来訪者。
壱(イチ)は私が手に持っている教科書を凝視している。
「イジメ、ではねぇよな」
「私のだよ」
「持って帰るの面倒だからって捨てていくなよ」
入り口に立っていた壱は教室の中に入り、扉を閉めた。誰の侵入も拒むかのように。
ぴしゃりと閉められた扉は、鍵は掛かっていないのに開く気がしない。
壱にこの空間を支配されてしまったかのような錯覚に陥る。
「もう帰ったもんだと思ってた」
「これ捨てたら帰るつもりだったよ」
「それは邪魔したな」
一歩、また一歩、壱は私に近付く。
遠ざかりたいのにその場から動けない。
壱の見慣れたユニフォーム姿が初めて会うような他人に見える。
眼光がまるで違うからだろうか。私を、見る目が。
「英真(エマ)」
耳から入って、侵食を拒め切れなかった。脳内に響く。
距離はもうない。腕を伸ばせば届くほどに。
土と汗の匂い。
手に持っていたのが落ちた。床と紙が衝突する音。何持ってたんだっけ。あぁ、教科書。
開いたページには、授業中暇で壱と一緒に落書きした跡があった。
壱が描いた先生の似顔絵。「似てない」と丸っこい字で書いた私のコメント。
私が噂で聞いたクラスメイトカップルの相合傘。「マジで?」と角ばった字。
この本のどこかのページには、私と壱の相合傘も書かれている。
壱が書いて、冗談止めてよと私が無言で笑って、正面切って見た顔に冗談は一切なくて。
チャイムが鳴り響いた瞬間、私の時間は少しの間止まる。
好きだよ、その言葉は甲高い鐘の音と共にどこかに消えた。
「もう、こうやって馬鹿みたいに落書きすることもねぇんだな」
壱が落とした教科書を拾い上げる。パラパラと捲って、懐かしそうな顔をした。
私は明日、この教室には入らない。二度と入らない。
新しい教室が遠くで待ってる。
捲っていた手が止まった。真ん中より少し過ぎた所。最近授業でやった所じゃないだろうか。
壱はそのページの一部分を手で破った。
本来なら何も書かれていない空白の場所。
壱の手で書かれた、私達の相合傘。
「これはちょっと、捨てないで」
あの時、私がふざけて相合傘を書かなかったら、壱はあんな顔をしなかったのかな。
私は泣くほど後悔をしなくて済んだかのかな。
用のなくなった教科書は壱の手でゴミ箱に捨てられた。
二人ともゴミ箱に目が行って、戻った瞬間、視線は交わる。
チャイムが鳴り響いたあの時と同じ、射抜く目。
きっと私は、揺らぐ目。
壱。その目は私にとって凶器なんだよ。
壱の何もかもはあたしの全身を引っかくんだ。
言葉も。
「本当に好きだったんだ」
答えは言えなかった。
私の時間はまた止まっていたし、壱はそんな私を思い切り抱きしめたから。
瞬間、涙だけ時間を共にする。
土と汗と、壱の匂い。
壱と私の口の中で、私の涙の味がした。
きつく抱きしめられた身体は何も出来なくて、腕はただ下に垂れ下がったまま。
視界は霞む。目を閉じた。そうしたら余計に涙が出た。
雫は頬を通り過ぎたり、口の中に入ったりしている。
冷たいはずなのに中ですぐ温かくなった。だって、二人分の熱。
何も出来ないから、この味を・キスを、私の答えにするね。
届いてる?
『本当に好きだったよ』
[女の子の名前はバイト先の常連さんの子供ちゃんの名前を拝借。
言葉はいきものがかりの「SAKURA」から。
中学二年くらいの気持ちで書いた。]
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2008/07/26 01:17
「さようなら」と通話を切ってすぐに明かりのスイッチを消した。
目に光の残像を残しながらも部屋の中は暗闇に包み込まれ、まるでどこまでも広い洞窟に居るような錯覚に陥った。
携帯電話のサブウインドウだけが暗闇で存在を主張し、日付と時間を教える。
知らない間に日が超えていた。そんなに話した気はしなかったのに。
やがてウインドウの文字も消え、私は完璧な闇の中に入り込んだ。
迷いのない歩幅でベッドに近付き倒れこむ。何か小さいものを踏んだ気がした。
携帯電話を枕元に投げ捨てると急に体中の力が抜けた。
始まりを願ったのは彼だった。しかし終わりを告げたのは私だった。
これといった諍いがあった訳ではない。価値観があまりに違い過ぎた訳でもない。
同じ空間に居て、苦痛を感じた事もない。
それでも一緒には居られないと思った。自分に失望してしまうくらい、彼とこれから上手くいく気がしなかった。
温かい毛布に包まれているような、心地の良い愛情を貰っていたのに。
彼に責任は一欠片もない。全ては私の中にある。
目がまだ明るさに慣れているのか、天井に下がっている電灯の輪郭がくっきりと分かった。
力の入らない手を無理やり上げてかざしてみると、その手もよく見える。
先ほど投げ捨てた携帯電話を手探りで探した。小さな機械はすぐに手に収まり、メインウインドウを開ける。
電話帳を開き、どのグループにも入れていないアドレスの番号に発信した。彼の番号ではない。
電話を耳元に近付ける事はせず、一定のコール音を遠くで聞いた。
そのコール音が途切れたと思うと、よく聞く女の人の声が聞こえる。留守を伝えるもの。
"伝言をお入れください"。高い機械音の後、私は一瞬ためらったものの電話を耳元に近付け、一言だけ言った。
「私はやっぱり貴方が憎くて、愛しています」
それだけ言うとすぐに通話を終わらせた。もう何も聞きたくなくて電源ごと切ってしまう。
メッセージに気付いたらあの人は、すぐに電話を掛けてくる。確信してしまう。
電灯の輪郭は少しぼやけ始めていた。急に喉が渇いてきて、水を飲もうと立ち上がる。ベッドから降りるとまた何か踏んだ。恐らく先ほど踏んだのと同じ物だろう。
それは酷く小さくて、頑丈そうなものだった。拾い上げてみると輪のようなもので、それなりの重量感がある。
彼から貰った指輪だと気付くのにそう時間は掛からなかった。
喉の渇きなど何処かに消え失せ、逆に水分が目から出てきた。
止まる事を知らない。
彼が好きだった。けれど、あの人の方が憎んでいる分、愛しさが大きかった。
ひんやりしていた指輪は、私の体温を奪って生温くなっていた。
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2008/06/13 00:19
キスをしようとしたら突き飛ばされた。
そのまま倒れて車に轢かれてしまえばいいと思う位絶望した。
貴方が私を愛さないと言うなら、私は一体誰を愛したらいいのですか?
「馬鹿じゃないの?」
狭さだけが自慢の給湯室。隣で加奈子が煙草の火を付けると、煙はあっという間に私の鼻をくすぐった。
煙草、嫌いだって言ってるのに。
「不倫してる奴に言われたくない」
「あんたより状況はマシよ。奥さんも他に男作ってるから籍だけ夫婦って感じだしね」
煙草を吸う時の女の顔は世界一不細工だと思う。遠くを見る座った目。
醜くて仕様がない。そしてそれは歳を重ねる事に酷くなると思う。
加奈子とはもう三年の付き合いになる。美人で男にも女にも好かれそうな顔をしている。
私も好きな顔だけど、一日三回は見る事になる喫煙中の顔だけはどうしても好きになれない。
男の前では止めた方がいいと言った事があるんだけど聞かなかった。自分らだって吸う癖に女が吸うと失望する男なんかとは最初から付き合わないと。そういう事を言いたいんじゃないのに。
「で、どうするつもりなのよ? あっちはもう一ヶ月も此処に居ないわよ」
「何としてでも手に入れる。こんな事するの私だけだろうし、隙は幾らでもある」
「他にチャレンジする女が居たら心底びっくりするわ」
すっかり短くなった煙草を灰皿に押し付ける姿は何故か好きだった。加奈子はこれでもかって位に押し潰すのだが、そこに男らしさを感じる所為かもしれない。
その時の顔は現実に押し戻されて疲れきっている。その哀愁が綺麗だと思ってしまうのだ。
溜息が一番似合う瞬間。
煙草が嫌いだと言っても強く拒まないのはこの瞬間が見たいから。
「ねぇ加奈子」
「何?」
「課長が煙草止めろって言ったら止める?」
「さっきも言ったけどそんな事を言いそうな男とは最初から付き合ってない。
あの人は絶対に言わないわ。あたしからよく煙草せしめるし」
厳格が二つ名だと言われている課長。そういう可愛い所をもっと見せればいいのに。
加奈子は独占欲が強いから嫌がるだろうけど。
「そっか。じゃあ私も止めない事にする」
「え、そこに繋がるの?」
「あたしも人に言われた位で止めちゃう程の気持ちじゃないから。あの人の、残りの人生全てを手に入れたい」
「……あんたも大概駄目な男が好きよね」
駄目な女も好きだよ、そう付け加えたら小突かれた。
昼休みもそろそろ終わるので給湯室を出る。デスクに戻り、視線を窓際にやる。あの人。
何も仕事を与えて貰えないあの人はただ所在なさげに座っていた。
あぁ、今すぐキスしたい。衝動が頭の中を渦巻いた。
[とりあえず、全国の女性喫煙家さんごめんなさい。]
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2008/05/09 20:54
唄えば、全部分かってくれる気がした。
唄えば、全部忘れられる気がした。
唄えば、全部赦される気がした。
「歌、そんなに好きか?」
窓の外から聞こえてくる雨音さえ、音楽に聞こえた。
メロディーが今にも浮かんできそう。
「好きだよ」
頭の中は歌で一杯になっていた。
口に出てしまいそう。必死に紡ぐ。ここで唄っちゃいけない。
「けど俺の前では唄わないな、お前」
「唄わないよ。章ちゃんの前では」
「何で」
「言わない」
言わない。唄わない。絶対。
この人の前では、私は私を一切見せない。
「お前は昔からそうだな。俺には何も教えない。聞かせない。見せない」
「じゃあ何で今でも一緒に居るの?」
さっきまで頭の中で響いていた雨音のメロディーは消えていた。
今はただ、章ちゃんの言葉に集中する。
「俺の前で唄ってくれたら教えてやるよ」
あぁ、それは無理だ。
そういう顔をしたら諦めた風に溜息を吐いて、あたしを置いて行った。
狭い部屋に一人。
唄わないよ。
貴方は全部分かってしまうから。
ずっと閉まっているこの感情。
知ったら、貴方はどうするの?
教えてくれるの?
章ちゃんだって、
「私の前で唄わない癖に」
教えない癖に。
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